本田宗一郎 夢を力に―私の履歴書
評価:☆☆☆☆★(4.4)
2001年7月1日第1刷発行。270ページほど。途中でつまる事なく2,3日で読めます。
自動車修理工 →オートバイ製造 →自動車メーカーへ
日本の代表的経営者、”本田のオヤジさん”の伝記です。
機械弄りの好きな手先の器用な少年。飛行機に憧れる。
電気工夫を真似ておじさんの肩に上がり、ハゲ頭の薄い毛をひねって「俺は電気工夫だ」
。・゚・(ノД`)・゚・。 <やめてぇー。これは可哀相。
床にチョークで図面を書く人だったとか。左掌図の話も面白い。
本田宗一郎 - Wikipedia
本田技研工業 - Wikipedia
Wikipediaがやたら細かいw、投稿・編集した人の熱意を感じますw
Wikipediaが詳しいので年表作りは簡略化してポイントを絞った解説にします。
■簡易年表■・・・四輪進出の流れは省略。
1917年(1914年?)、20キロ離れた浜松まで一人で飛行機を見に行く。
1922年、高等科卒業を期に東京の自動車修理工場「アート商会」の丁稚小僧に。
1946年、本田技術研究所設立。
軍が使用していた通信機の小型エンジンを自転車につけたモーターバイクを製作。
1949年、オートバイ「ドリーム号」開発。
8月、竹島弘氏の紹介で藤澤武夫氏と出会う。
1952年、「カブF」発売。
1953年頃、資本金6千万で、4億5000万円分の外国製工作機械を輸入。藤澤氏(当時専務)は金策に奔走。
1954年1月、株式公開。マン島TTレースに出場宣言。
設計不良・返品のため資金繰り問題発生。藤澤氏の交渉で難を逃れる。
1958年、「スーパーカブ」発売。
1964年、F1レースに初参加。翌年初優勝。
1973年、本田宗一郎、藤澤武夫引退。
「おれは藤澤武夫あっての社長だ。副社長がやめるなら、おれも一緒。辞めるよ」
■もうひとりの創業者、藤澤武夫■
藤沢武夫 - Wikipedia
考案
「エキスパート(専門職)制度」「研究所の独立」「集団思考の役員室」
■空冷水冷論争(1969年)
カリスマの限界。設計変更の連続による社内の疲弊。
藤澤氏、本田宗一郎氏に決断を迫り、翌年には4専務による集団指導体制へ移行。
■DMで販売網を創る。
自転車店にダイレクトメールを送り販売店に。しかも、前金を受け取ることに成功。
カブ号は15000件の自転車店で販売され、二輪車市場でのホンダの飛躍に繋がった。
■スーパーカブによる北米進出
マス商品だから輸出は不可欠・・・、商品特性の理解。販売力による商品価値の最大化。勉強になります。
■おわりに■
以下、管理人の適当な感想なので、続きが気になる方は読んでください↓
タグ : ホンダ 本田宗一郎 藤澤武夫 カブ
2001年7月1日第1刷発行。270ページほど。途中でつまる事なく2,3日で読めます。
自動車修理工 →オートバイ製造 →自動車メーカーへ
日本の代表的経営者、”本田のオヤジさん”の伝記です。
機械弄りの好きな手先の器用な少年。飛行機に憧れる。
電気工夫を真似ておじさんの肩に上がり、ハゲ頭の薄い毛をひねって「俺は電気工夫だ」
。・゚・(ノД`)・゚・。 <やめてぇー。これは可哀相。
床にチョークで図面を書く人だったとか。左掌図の話も面白い。
本田宗一郎 - Wikipedia
本田技研工業 - Wikipedia
Wikipediaがやたら細かいw、投稿・編集した人の熱意を感じますw
Wikipediaが詳しいので年表作りは簡略化してポイントを絞った解説にします。
■簡易年表■・・・四輪進出の流れは省略。
1917年(1914年?)、20キロ離れた浜松まで一人で飛行機を見に行く。
1922年、高等科卒業を期に東京の自動車修理工場「アート商会」の丁稚小僧に。
1946年、本田技術研究所設立。
軍が使用していた通信機の小型エンジンを自転車につけたモーターバイクを製作。
1949年、オートバイ「ドリーム号」開発。
8月、竹島弘氏の紹介で藤澤武夫氏と出会う。
1952年、「カブF」発売。
1953年頃、資本金6千万で、4億5000万円分の外国製工作機械を輸入。藤澤氏(当時専務)は金策に奔走。
1954年1月、株式公開。マン島TTレースに出場宣言。
設計不良・返品のため資金繰り問題発生。藤澤氏の交渉で難を逃れる。
1958年、「スーパーカブ」発売。
1964年、F1レースに初参加。翌年初優勝。
1973年、本田宗一郎、藤澤武夫引退。
「おれは藤澤武夫あっての社長だ。副社長がやめるなら、おれも一緒。辞めるよ」
■もうひとりの創業者、藤澤武夫■
藤沢武夫 - Wikipedia
考案
「エキスパート(専門職)制度」「研究所の独立」「集団思考の役員室」
■空冷水冷論争(1969年)
カリスマの限界。設計変更の連続による社内の疲弊。
藤澤氏、本田宗一郎氏に決断を迫り、翌年には4専務による集団指導体制へ移行。
■DMで販売網を創る。
自転車店にダイレクトメールを送り販売店に。しかも、前金を受け取ることに成功。
カブ号は15000件の自転車店で販売され、二輪車市場でのホンダの飛躍に繋がった。
■スーパーカブによる北米進出
マス商品だから輸出は不可欠・・・、商品特性の理解。販売力による商品価値の最大化。勉強になります。
■おわりに■
以下、管理人の適当な感想なので、続きが気になる方は読んでください↓
タグ : ホンダ 本田宗一郎 藤澤武夫 カブ
本田宗一郎さんは、日本における自動車の普及期に先駆けて技術を習得し、(欧米では既に存在していたとは言え)国産オートバイを開発し、普及させた。本田宗一郎さんは、知らず知らずのうちに、時代に合致した行動を取っていたんですねぇ。
個人的に藤澤武夫氏の生き方が印象的でした。女房役、凄いなぁと。
本田氏を立てつつ、社員の不満を解消する手腕が見事です。
レースに出場しブランドを高め、品質を示し、海外市場を攻略するのが基本戦略なんですねぇ。なるほど。
F1で培った車体の電子制御技術がハイブリット車の開発に活かされてるのかな(^^;?
最近の日本では、エンジニアの創業者が技術で大企業を作ったという話をあまり聞かないような気がして寂しいですね。
(googleとかはもろに技術主体で急成長した会社ですけど)。
ああ、ホンダは初期のディズニーと似てますね。ウォルト兄弟がクリエイティブとマネジメントで支え合った関係に近い。
以上です。
これでまた、経営への理解が深まったはず!(笑。
個人的に藤澤武夫氏の生き方が印象的でした。女房役、凄いなぁと。
本田氏を立てつつ、社員の不満を解消する手腕が見事です。
レースに出場しブランドを高め、品質を示し、海外市場を攻略するのが基本戦略なんですねぇ。なるほど。
F1で培った車体の電子制御技術がハイブリット車の開発に活かされてるのかな(^^;?
最近の日本では、エンジニアの創業者が技術で大企業を作ったという話をあまり聞かないような気がして寂しいですね。
(googleとかはもろに技術主体で急成長した会社ですけど)。
ああ、ホンダは初期のディズニーと似てますね。ウォルト兄弟がクリエイティブとマネジメントで支え合った関係に近い。
以上です。
これでまた、経営への理解が深まったはず!(笑。
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